老印の随筆
よく人から「落ち葉は根に帰る」とはどういう意味か尋ねられる。
「根」という概念は大きく二つに分かれる。一つは土地、もう一つは人の情けと親族の絆である。
私たちはこの土地に生を受け、土地と肉親に育てられ、そこから「故郷」という意識が生まれる。
今や親族の絆は薄れる一方、土地は自分たちのものではなく、いつ何時立ち退きや取り壊しに遭うか分からない。
これでは私たちに故郷など存在し得ない。
中国の伝統文化のあらゆる形は、この二つの要素を原点に広がってきた。
一軒の家、寄り添う兄弟姉妹、正月の行事、清明節の墓参り、中秋節 —— これらはすべて故郷に帰り、家族が団らんするための営みではないか。
だからこそ、まず永遠に変わらない自らの土地を持ち、代々受け継ぐ家を建てなければならない。
その地の石一つ、木一つがすべて思い出となり、心の拠り所、帰属感が生まれるのだ。
外に出て働き、学び、暮らしても構わない。
だが世の中で辛く嫌な思いをした時、ふと故郷の家、自分の居場所を思う。
自らの土地と家があれば、少なくとも心休まる生きる拠り所が残るのだ……
今は一人っ子が主流となり、大叔母や大叔父、従兄弟ら親族のつながりは希薄になった。
だからこそ親の絆をいっそう大切にしなければならない。
人はこうした血縁のつながりの中に生きてこそ、心の温もりを感じられる。
絆を守るには時間と労力を割く必要はあるが、身内のつながりがあれば、日々の暮らしは温かみに満ち、安心感も得られる。
今では遠縁の親族は言うに及ばず、実の兄弟姉妹さえ仲が疎遠になり、
それぞれ利害だけの世界に生き、地位で己を飾るようになった。
年長年少の礼節も、夫婦の和調も、どこにも見られなくなった。
親族の情けは消え、土地も家も失い、帰る家も見失う。
友人との交わりも絶え、同郷の人々も心を通わせなくなり、ついに故郷さえ見失ってしまう。
故郷も家も失った人に、正月の意味など残されているだろうか。
明日は大晦日。本来なら庭を掃き、正月用品を買い揃え、春聯を貼り、祝いの料理を作り、にぎやかに過ごすはずなのに、
今の私は何もする気になれない。
中国人にとっての伝統的な正月は、やがて消えゆく運命にある。
私たち庶民にはどうしようもなく、力ある者はにぎやかに暮らし、もはや正月に執着する必要もないのだろう。
幸い母がまだ生きている。明日は故郷に帰って正月を迎えよう。
母のいる場所こそ、私の居場所なのだ。
数日前、小さな精霊のような子供に教えられた悟りである(笑)。